オマールの伝説~もう一つのコーヒーの起源~とコーヒーの伝播・歴史
昨日はコーヒーの起源にまつわる伝説として、エチオピアのカルディの伝説を紹介しました。今日はもう一つの伝説、イエメンのオマールの伝説を紹介します。それから世界にコーヒーがどのように伝播していったかもたどってみようと思います。
オマールの伝説
こちらはアラビアのイスラム教の僧侶シェイク・オマール(Sheik Omar)がコーヒーを発見したという説です。
1258年のこと。アラビアの僧侶、シェイク・オマール(シーク・オマール、シャイフ・ウマル)は、現在のイエメンのモカ港というところに滞在中にモカの領主の娘の疫病を治療してやります。しかしその娘と恋仲だと噂が立ってしまい、怒った領主からオウサブ山に追放されます。空腹と戦いながら山中をさまよっていると、一羽の美しい鳥が赤い木の実をついばんでいるのを目撃します。オマールはこれをアラーのご加護と思い、この実を食べてみます。おいしそうな見た目とは裏腹に、苦く食べにくかったので、煮詰めて飲むと、不思議なことに全身の疲れが癒され、一日中力がみなぎるようでした。オマールはこの実を神からの贈り物と考えて、これを病人の治療に利用しました。瞬く間にうわさは広がり、彼のいる洞窟の前に行列ができるようになりました。結局モカの領主はオマールを許し、オマールは娘と結婚し、モカの聖人としてあがめられるようになりました。この赤い実がコーヒーの実だったということです。
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コーヒーの伝播
エチオピアからイエメンへ
コーヒーのアラビカ原種がエチオピアで5~6世紀(6~9世紀とも。諸説あり)に発見された後、13世紀のオマールの発見を経て嗜好品というよりは薬という認識で重宝されていました。1500年ごろ、エチオピアの支配下にあった対岸のイエメンで初めてコーヒーの木の栽培が始まり、メッカ(サウジアラビア)に「カフェハネ」という名のコーヒー専門店が登場し、イスラム教圏に嗜好品としてのコーヒー文化が広がっていきます。1554年には「カフェハネ」がコンスタンティノープル(現イスタンブール・トルコ)に開店します。
このころはコーヒー豆から苗を栽培することができないように少し煎ってから輸出するようにして、コーヒーの栽培を独占していました。ちなみにこの時輸出された代表的な港がモカ港です。ここからモカというコーヒーの銘柄ができました。
イエメンからインドへ
1600年代、ババブダン(Baba Budan)というイスラム教の巡礼者がイエメンから盗んで持ち出し、インドのマイソール地方に伝えられると、インド全土に伝播しました。
イエメンからオランダへ
オランダにはモカからスパイが持ち込んだコーヒーの苗をアムステルダムの植物園に移植し、約40年後の1658年、オランダの植民地だったセイロン島に持ち込みました。1969年にはインドネシアのジャワ島にオランダの最初のコーヒー農園ができました。
オランダからフランスへ、そしてブラジルへ
18世紀、アムステルダム植物園のコーヒーの木がフランス領西インド諸島とギアナに移植されました。持ち出しを固く禁じられていましたが、フランス領ギアナの総督婦人が大きな花束に隠して、ブラジルから来た使節団の一員だった美男のポルトガル人将校のパルヘッタに渡したことによってブラジルにも伝播することになりました。
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