人は何のために生きるのか - True Vine

人は何のために生きるのか

人は何のために生きるのかという疑問

忙しい日々に追われて忘れて暮らしていても、ふとしたきっかけで湧き上がっては答えが見つからずうやむやになっていっていた疑問、人は一体何のために生まれ、何のために生きるのか?

世の中にはそれらしい答えが散見されます。自分を見つけるため、人の役に立つことをするため、子孫を産み育てるため、何かを成し遂げるため、などなど。

しかし自分にはそのどの答えもしっくりきませんでした。人が後から取ってつけた感が否めないのです。延々と子孫を産み育てても、その先に何があるのか考えると虚しさを感じてしまいます。結局は子孫たちも自分と同じように限りある命の中で苦労して学んで悩みや絶望を繰り返しながら生きるために働き、最後に死んでいくだけではないかと思ってしまいます。

夕焼け 空

世界最高のベストセラー

ところで話は変わりますが、国を超え、時代を超えて、世界で最も売れた最高のベストセラーといわれる書籍は何かご存知でしょうか。それは聖書です。

聖書といえば言わずと知れたカトリックとプロテスタント双方に共通のキリスト教の教典です。

キリスト教と言えば世界三大宗教の一角で、その信者数は世界人口の約32%、24億人世界一の宗教人口を持ちます。2位はイスラム教の23%、18億人。この二つの宗教で世界人口の過半数を占めています。

聖書の神

キリスト教の神はヤハウェ、イスラム教の神はアッラーですが、実はこれらの神は元々は同じ旧約聖書に出てくる万物の創造主である唯一神を指していることをご存知でしょうか。

ただ呼び方がヘブライ語語かアラビア語かの違いなのだそうです。その上、イスラム教徒は聖書の内容も信じているそうです。ついでに言うと、ユダヤ教の神も同じ唯一神、万物の創造主であり、旧約聖書を信じています。

聖書はいつ誰が書いたのか

そもそも聖書は誰がいつ書いたのでしょうか?

聖書は旧約聖書39巻、新約聖書27巻からなっています。

旧約聖書は三十人以上もの人によってヘブライ語で、紀元前1500年ごろに書き始められ、紀元前400年ごろに完成しました。

新約聖書は8-9人の人によりギリシャ語で書かれ、紀元50年ごろから100年ごろまでに完成しました。

なんと今から3500年も前に1600年もの歳月をかけて書かれたものなのです。

しかし長期に渡って複数の人の手によって書かれたとは言え、その内容には一貫性があり、全て神の霊感を受けて書かれたものだと聖書の中で述べられています。

聖書に記された人間存在の理由

なぜキリスト教とイスラム教とユダヤ教は同じ神を崇拝しているはずなのに違う宗教になってしまったのでしょうか。
実はイエスをメシア(救世主)として認めるかどうかが鍵になっているのですが、これについてはまた後日書くことにします。

とにかくこれほどたくさんの人に信じられている聖書では、一体人は何のために生きると書かれているのか、気になりませんか?

まず、人を作ったのは神であるとはっきり書かれている点に注目したいです。

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」
創世記 1:27 新共同訳
http://bible.com/1819/gen.1.27.新共同訳

そしてその目的は、神ご自身の栄光のために創造したと書かれています。

「彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し/形づくり、完成した者。」
イザヤ書 43:7 新共同訳
http://bible.com/1819/isa.43.7.新共同訳

「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」
コリントの信徒への手紙一 10:31 新共同訳
http://bible.com/1819/1co.10.31.新共同訳

 

だから、聖書によれば私たち人間の存在理由は、創造主である神を褒め称え、神の栄光を現すことにあるのです。

人形師を思い浮かべると、わかりやすいかもしれません。人形師(神様)は人形(人間)を自分に似せて作りました。そして人形に命を吹き込んでやりました。人形同士仲良く、作り主の自分にも感謝しながら暮らしてくれるのを眺めたいと思って作ったはずです。ところが人形ときたら人形師に感謝するどころか、食べてはいけないと言った木の実を食べて、別の人(異教の神々)が造り主だと言って金の牛の像やら変な像を作ってそちらを拝んで感謝し始めたり、戦争して殺しあったり、挙げ句の果てには、アメーバから徐々に進化して勝手に出来上がったんだと主張してみたり。人形師から見れば腹の立つことこの上ないでしょう。それでも忍耐強い人形師は人形の世界に直接介入することはせず、人形たち自らが本当の造り主を悟るのを待ってる…。
こんな構図になるでしょう。

この考えがもとになった「たいせつなきみ」マックス・ルケード (著)というとても素敵な絵本があります。ぜひぜひ、一度読んでみてください。この生きづらい社会に疲れた現代人に、一人一人がどんなに大切な存在かということを思い出させてくれる心が温まる本です。

目に見える世界が全てではない

この科学の時代に何を馬鹿げたことを言っているのかと思うかもしれません。しかし世の中には実は超常現象が溢れています。スピリチュアルやら占いやらがもてはやされるのは、人々が霊の世界を信じているからに他なりません。神社で手を合わせるのはなぜですか。お祓いをするのはなぜですか。バチが当たると言うのはなぜですか。目に見えない世界を信じているからです。

ではなぜもっと積極的に目に見えない世界と向き合わないのでしょう。聖書の中には、目に見えない世界のことを知り、正しく恐れ、正しく対処するための助言があふれています。最近ぽっと出てきたような怪しい占い師や怪しい新興宗教団体よりも、ずっと信頼のおける解説書です。

進化論は仮説に過ぎない

また日本人は進化論は科学的だと思い込まされる教育を受けて育つ人が多いから、あたかも進化論は科学的に証明されているかのように受け取られがちですが、決してそうではありません。進化論は全く証明されていません。そればかりでなく、逆に進化論を否定する証拠はいくつもあるのです。いくらアミノ酸に電気を加えても生命が無から自然発生させることはできなかったし、サルから人間に進化したことも立証できない。種をまたぐような大きな変化を示す中間生物の化石が発見できない。進化論は矛盾点が多すぎることは多くの科学者も指摘しています。
これに引き換え、聖書に見られる創造論は、今や創造科学とかID(インテリジェント・デザイン)論(知性ある何かによって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする説。ウィキペディアより)として立派に科学的研究対象になっています。

日本でも、立証されてないことを堂々と子どもたちに教える前に、仮説にすぎないことを認めて、一度頭をリセットして考え直す時期に来ていると思います。

人は神の栄光のために作られたという考え方

話がずれてしまいましたが、私たち人間の存在理由が、創造主である神を褒め称え、神の栄光を現すことにあると聖書に書かれていると知って、私は何か安堵に似た気持ちを抱きました。胸に支えていたものがすっと腑に落ちたような気がしました。このように考えると生きるのが楽になるのです。

花

野の花や鳥を見てはこんなに精巧に作られた神は素晴らしいと思い、美しい夕焼けを見ては神に感謝する。寝る場所があたえられ、着る物があり、食べる物があることに感謝して、そばにいてくれる人を作ってくれたことに感謝する。いつもできるわけではないですが、こんなふうに心から思える時は清々しく気持ちいいです。
私はこの存在理由に則ってこれから生きていこうと思います。

参考文献:『まんが聖書入門』勝間としを[絵]、石田弘[監修]、[発行]いのちのことば社フォレストブック

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