【韓国】公州の武寧王陵ってこんなところ!
百済の第25代の王・武寧王の墓
韓国中部の都市、公州市に、「武寧王陵」はあります。
「武寧王陵」は、韓国語では무령왕릉と書き、ムリョンワンルンと読みます。(言いにくいことったら早口言葉みたいです💦)
「武寧王陵」は、百済の第25代の王・武寧王と妃のお墓で、韓国で唯一埋葬者が確定している王墓でもあります。
武寧王について

武寧王(ぶねいおう・ハングルでは무령왕、ムリョンワンと読む)は、百済の第25代の王で、462年に生まれ、502年に40歳で王位につき、523年に亡くなるまで在位していました。
日本との縁が深かったようで、生まれは日本の筑紫の各羅嶋(かからのしま/加唐島)とされています。そのため嶋君とよばれました。
棺も、武寧王と王妃のものは、コウヤマキという日本にしか自生しない木材で作られていたそうです。
母親や王妃も倭人であったと主張している韓国の研究者もいます。
また、『続日本紀』には武寧王は桓武天皇の生母、高野新笠の遠祖との記述もあります。
ユネスコ世界遺産:百済歴史遺跡地区のひとつ、武寧王陵と王陵園(旧宋山里古墳群)

百済歴史 遺跡地区
武寧王陵の周囲には古墳が7基ほどまとまっており、まとめて武寧王陵と王陵園(旧宋山里古墳群)といいます。
これは、2015年にユネスコ世界遺産に登録された百済歴史遺跡地区の一部です。

展示館

古墳を模したつくりの展示館の中には、各古墳の内部、玄室が再現されています。
玄室は入り口が狭く入るのが大変ですが、中は割と広いです。



武寧王陵は、塼(せん)という煉瓦を積み上げた「塼築墓」という形式でできています。
煉瓦の紋様や、副葬品の種類や配置などから、中国の南朝・梁(りょう、502年 – 557年)の先進的な形式を踏襲していたことがわかるそうです。

これは珍墓獣。
墓を守り、死者を導くツノと翼をもった想像上の動物です。
中国の後漢時代から見られますが、韓国で発見されたのはここだけです。

副葬品が発見当時の通り再現されています。





地図