クリスマスの由来と起源~イエス・キリストの誕生日ではない!その歴史的背景とは?
早いものでもう12月、今年も1か月を残すのみとなりました。
12月と言えばまず思い出されるのがクリスマスです。
クリスマスの由来と起源
クリスマスの名前の由来
クリスマス(Christmas)とは、クライスト(Christ)、つまりイエス・キリストと、ミサを意味するマス(mass)が合わさってできた言葉で、イエス・キリストの誕生日として知られています。
でも実は、イエス・キリストの誕生日がいつだったのかについての記述は聖書のどこにも載っておらず、謎なのです。日付はおろか、年すらわかっていません。だからクリスマスも、正確に言えば『イエス・キリストの降誕を記念する日』なのです。
イエス・キリストの生まれた晩についての聖書(ルカによる福音書)の記述
では、なぜ12月25日なのでしょうか。
聖書から読み取れるイエス・キリストの誕生日がそのあたりなのでしょうか。
いいえ、実は冬であった可能性は低いのです。
ルカによる福音書には、イエス・キリストが生まれた夜に、羊飼いが夜に野宿しながらひつじの群れの番をしていたという記述があります。
「さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。 すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。 あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。 するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。 御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。 そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。」
ルカによる福音書 2:8-16 JA1955
しかし、ふつうこの地方では冬の寒い夜には羊を放牧しないことから、4月から10月くらいの暖かい時期であった可能性が高いのです。
クリスマスはなぜ12月25日になったのか
太陽神崇拝と冬至
ではどうして12月25日になったのでしょうか。どうやら冬至と関係があるようです。
冬至とは、北半球において日の出から日没までの時間が最も短い日で12月22日ごろです。この日を境に昼の時間が長くなっていくことから、洋の東西を問わず暦の基準となるだけでなく、太陽神崇拝における重要な日と位置付けられていました。
日本神話の太陽神である天照大神の天の岩屋戸ごもりも、日食説も存在しますが、一義的には冬至を表すといわれています。
冬至の祭り、ユールとは
北欧のゲルマン民族の間ではキリスト教以前から冬至祭を「ユール(北欧語: jul、英語: yule)」と呼んで、北欧神話の主神にして戦争と死の神であるオーディン(古ノルド語での表記は Óðinn)(余談ですが、英語の水曜日 Wednesdayは「オーディンの日」の意)に豚やイノシシをささげる習慣があったそうです。
オーディンという名は、oðr(狂った、激怒した)と-inn(~の主 など)からなり、語源的には「狂気、激怒(した者)の主」を意味すると考えられます。
オーディンは長いひげを蓄えてつばの広い帽子を目深にかぶった片目の老人の姿をしてグングニルと呼ばれる槍をもっています。片目なのは魔術の知識を手に入れるために、北欧神話のユグドラシル(世界樹)と呼ばれる大木の根元の賢い巨人ミーミルの泉の水を飲む時片目を担保として差し出したからです。また、ルーン文字の秘密を手に入れるために自らユグドラシルの枝で首をつってグングニルで腹を突き刺して9日間耐えたとされます。手に入れたいもののためなら手段を選ばない性格がうかがえます。
北欧諸国では今でもクリスマスをユールと呼びますし、クリスマスケーキのブッシュ・ド・ノエルは、「ユール・ログ」と呼ばれる魔力を宿したクリスマスの大薪をモチーフにしたものです。
クリスマスの原型となったミトラス教
クリスマスの原型はミトラス教(Mithraism)にあるとされます。
ミトラス教は「ミスラ(Miθra)」という、ゾロアスター教の聖典『アベスタ』やアケメネス朝の碑文などに登場するイラン神話の神への信仰が、西アジアからギリシア・ローマに伝えられて密儀宗教となったものです。インド最古の宗教的文献『リグ・ベーダ』に登場するインド神話の光、盟約、正義の神「ミトラ(मित्र [mitra])」とも起源を同じくします。サンスクリット語では弥勒を指す「マイトレーヤ」となり、大乗仏教における弥勒菩薩信仰もここから来ているといわれます。
ミトラス教の「ミトラース(Μίθρας [Mithras])」は、「ミスラ」のギリシャ語形・ラテン語形で、太陽神、英雄神として崇められました。
ミトラス教は1世紀後半から4世紀半ばまでのローマ帝政期に、ローマとその属州で、最初は下層民に、のちには皇帝にまで広く信奉されました。ミトラス教の最大の祭儀は冬至の後で太陽の復活を祝う12月25日の祭で、これが、キリスト教のクリスマス(降誕祭)の原型とされます。
サートゥルナーリア祭について
一方で、ローマにはこのミトラス教が入ってくる以前から、サートゥルナーリア祭(Sāturnālia)という盛大な祭が行われていました。
サートゥルナーリア祭は紀元前217年ごろ、第二次ポエニ戦争でカルタゴに軍が惨敗した後、市民の士気を高めるために催されたのが始まりで、特に馬鹿騒ぎと社会的役割の入れ替えを特徴とし、奴隷とその主人がこの期間だけ表面上役割を入れ替えて振舞いました。元々は12月17日の1日だけでしたが、非常に好評だったため1週間まで延長され12月23日に終わるようになったといいます。
サートゥルナーリア祭ではサートゥルナーリア神殿はもみの木で飾られ、神殿の前の長椅子に生贄が捧げられ、人々は小さなプレゼントを贈りあったそうです。一説ではクリスマスツリーの起源はここにあるともいわれます。
サトゥルヌス
サートゥルナーリア祭で祭られるサートゥルヌス(またはサトゥルヌス)(Sāturnus)はローマ神話の農耕神または時の神の名前で、土星の守護神とされ、ギリシャ神話に置けるクロノスと同一神とみなされています。
サトゥルヌスといえば、スペインの画家、フランシスコ・デ・ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス(スペイン語:Saturno devorando a un hijo)」(スペイン国立プラド美術館所蔵)という絵画で有名です。
将来自分の子供に殺されると予言されたサトゥルヌスが5人の我が子を頭から丸呑みしたという伝承が元になっており見るものをぞっとさせる狂気がリアルに描かれています。
サトゥルヌスは、ヘシオドスの『神統記』に現れる神話の神で、大地の女神、ガイアの息子です。ガイアの与えた大鎌で父親のウラノスを去勢し、その傷から噴き出た血が大地の女神と交わって、エリニュエス、フリアイ、巨人たち(ギガス)、ニンフたち(メリアス)が生まれたそうです。
サトゥルヌスは妹である豊穣の女神レアと結婚し、子どもが生まれるとすぐにむさぼり食べたとされます。しかし、最後にレアが息子ゼウスの代わりに石を布に包んでだましてゼウスを救い、ゼウスは無事に成長しました。
なんともはや、血なまぐさくて、とても神とは呼びたくない存在、むしろ悪魔というべき存在に思えてきませんか?
コンスタンティヌス帝による宗教混交の結果として生まれたクリスマス
話がそれました。
3世紀ごろまでに『新約聖書』がまとめられ、キリスト教の教義が調えられると、ローマ帝国の支配の安定をはかるコンスタンティヌス帝は、313年にミラノ勅令を出して、ローマ帝国におけるキリスト教を公認しました。それによってキリスト教に対する迫害は終わりを告げることになりました。
しかしコンスタンティヌス帝自身は臨終に際して洗礼を受けるまで太陽神崇拝をやめませんでした。彼は意図的に太陽神とイエス・キリストを結び付け、これらの異教の神の冬至の祭をキリスト教に取り込みました。
このようにして太陽崇拝はキリスト教の中に忍び込み、コンスタンティヌス帝治世下のローマにおいて336年12月25日にはキリストの降誕祭が行われたことが確認されています。
クリスマスで異教の神を賛美することに参加させられている?
クリスマスをイエス・キリストの降誕を記念する日と肝に銘じて祝うのなら問題ないのかもしれません。
しかし、私の場合は、何となく知らず知らずのうちに訳の分からない悪魔のような神を賛美する行事に参加させられているような気がして、素直に祝えなくなってから早6年が経ちました。毎年クリスマスの時期が来るたびに、複雑な気持ちになります。
貴方は、クリスマスの起源を知っても、今までと同じように祝えますか?
マタイによる福音書に見るイエス・キリスト生誕
「イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。 夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。 彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。 彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。 すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、 「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。 ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。 しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。」
マタイによる福音書 1:18-25 JA1955
「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。 ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。 そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。 彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、 『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、 彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。 そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。 そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。 こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。」
マタイによる福音書 2:1-17 JA1955
【参照】
ウィキペディア「ユール」
ウィキペディア「オーディン」
ウィキペディア「サートゥルナーリア祭」
ウィキペディア「我が子を食らうサトゥルヌス」
『プラド美術館 鑑賞案内 ゴヤ 黒い絵』バレリアーノ・ボサール著
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