【韓国地方の旅】有田焼(伊万里焼)の祖・李参平(金ケ江三兵衛)公の記念碑
李参平(金ケ江三兵衛)公の記念碑を訪ねて
有田焼(伊万里焼)
伊万里焼もしくは肥前焼とも呼ばれる有田焼は、佐賀県有田町で生産される伝統的な日本の陶磁器の一種で、約400年以上の歴史があり、その美しさ、高度な技術、耐久性、機能性で高い評価を受けています。
この有田町で、日本で最初に磁器の原料である白磁土を発見し、製陶業を始めたのが、韓国の公州(コンジュ)にルーツを持つ陶工の金ケ江三兵衛(かながえさんべえ)という人です。
本名の朝鮮名は李参平(イ・サムピョン:이삼평)とされていますが、明らかではありません。
16世紀末に豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役:韓国では임진왜란という)を命じた際、派兵された肥前の領主・鍋島直茂は、朝鮮人の陶工たちとともに李参平(金ケ江三兵衛)を日本に連れ帰りました。
李参平(金ケ江三兵衛)は九州有田泉山で磁器の原料となる磁石鉱を発見し、こうしてそれまで陶器しかなかった日本で、初めて磁器が焼かれるようになりました。
李参平公園と記念碑
公州と大田の中間に位置する鶏龍山は、桜並木が美しいことで有名で、何度か桜を見に行ったこともあるのですが、そのすぐ脇に、李参平公の記念碑と公園があると聞き、訪ねてみました。
鶏龍山には陶芸家たちの窯元もあり陶芸村と呼ばれていて、素朴な風合いの『粉青沙器 (분청사기)』という陶器が有名です。
余談ですが実は公州市は、『李参平陶磁文化芸術団地』を2024年までに144億ウォンを投入して竣工する予定だったのですが、鶏龍山の陶芸村の陶芸作家らが生存権を脅かされると強く反対しているそうです。理解はできまずが、残念なことです。
李参平公の記念碑は、もともとは公州市にあったものが道路工事に伴いこちらに移されたそうで、山の脇にひっそりと大きな記念碑が立っていました。
碑には『日本磁器始祖 李参平公記念碑』と書かれています。
説明を読むと、1990年に、当時の佐賀県知事をはじめとした有田町の人々からなる記念碑建立委員会と、韓国側の建立委員が力を合わせて建てたようです。
李参平(金ケ江三兵衛)公は無理やり連行されたのか?
先にも書いた通り、李参平は秀吉の朝鮮出兵の際、日本に連れてこられました。
以前韓国のテレビで、陶工たちが罪人のように縄でつながれてぞろぞろ日本兵によって船に乗せられるアニメーションとともに、陶工を狙って捕まえて連行したと紹介されていて、果たして本当にそうだったのだろうかというのが私の疑問でした。
しかしどうやら、真実は李参平本人の意思で日本に来たようです。
こちらの韓国語のニュース記事に詳しく書かれています。
この記事によると、李参平氏は鍋島氏に牛車を動員したりして手助けしたため、復讐を心配した鍋島氏の勧めに従って身の安全のために日本に渡ったようです。
このことは4つの歴史的資料に書かれていることが矛盾なく一致していることから、事実と思われます。
韓国側から見れば確かに不都合な真実ですが、それをきちんと報道したメディアもあったことは称賛されるべきですね。
まだこの事実は韓国人にも知れ渡ってはいませんが、果たして知れ渡るようになったとき、李参平公の記念碑が無事であることを祈るばかりです。
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